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ケベックの戦い (1690年) : ウィキペディア日本語版 | ケベックの戦い (1690年)[けべっくのたたかい]
1690年のケベックの戦いは、1690年10月に、ヌーベルフランスと、マサチューセッツ湾の各植民地の間で行われた戦いである。当時はそれぞれがフランス王国とイングランド王国の支配下にあった。ケベック・シティーの防御が試された初めての戦いでもある。 ==概要== ウィリアム王戦争中の1690年に、アカディアのノバスコシアにあるポートロワイヤル(ポール・ロワイヤル)がニューイングランド軍に占領された。ポートロワイヤルの戦いである。ニューイングランド軍は、続いてモントリオールと、ヌーベルフランスの首都であるケベックを包囲するつもりでいた。ポートロワイヤルでの敗北は、ヌーベルフランスの住民に衝撃を与え、総督のルイ・ド・ブエード・ド・フロンテナックは、ケベック包囲への早急な対応策を命じた。ニューイングランド側の使節が降伏に同意するよう伝えに来た時、フロンテナック総督は、唯一の答えとも言える、有名な「私の大砲の口」宣言をした〔Chartrand, ''French Fortresses in North America 1535–1763: Quebec, Montreal, Louisbourg and New Orleans''〕。 ジョン・ウォリー少佐が侵略軍を率いて、セントローレンス川流域のボーポールに降り立ったが、ニューイングランドの民兵は、ヌーベルフランスの民兵から絶え間ない攻撃を受けて退却した。その一方で、サー・ウィリアム・フィップスの遠征隊を乗せた船は、ケベックの要塞からの一斉射撃で、もう少しで破壊されそうになった。フィップスは漁民出身だが、カリブ海の沈没船から財宝を引き上げて一財を成し、この引き上げの出資者ジェームズ2世からナイトに叙せられていた〔北米イギリス植民地帝国史 後編 その3 〕。両軍がこの戦闘で学習したことがあった。フランスはケベックの防御を改善すること、そしてニューイングランドは、この町を支配下に置くにはもっと多くの砲台と本国からのより多くの支援が必要だと悟った〔。
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